融点はとうの昔に越えた
両国国技館で行われたSolidS、QUELL合同ライブは、大成功で終わった。たぶん、今までで一番の盛り上がりだったと今までのライブをすべて通ってきた私は思う。興奮で火照った身体が冷めないまま会場の外に出ると夏独特の生ぬるい風が肌を撫でた。さて、帰ろうかと足を駅のほうに向けるとカバンの中からぽこん、と間抜けな通知音がスマートフォンから響く。送り主の名前を確認しないまま開くと相手は先ほどまでステージの中央にいた人物で、私の恋人であった。
翼:いま電話してもいい?
ただ一言、そう書かれていた。昼夜合わせて5時間近いライブだったというのに、私と電話をする余裕なんてあるのだろうか。既読だけつけて返信の内容を考えていたらスマートフォンが再び震えた。画面を見ると翼からの着信。どうやら私が返事をするのを待てず、掛けてきたようだった。私は小さく苦笑すると応答ボタンを押した。
「まだいいよなんて言ってないんだけど」
『とか言って、どうせ電話してくれたんでしょ?』
「……まあそうだけどさ」
『だったらいいじゃん。今すぐの声が聴きたい気分だったんだよね』
開口一番に文句をひとつ零してみるが、通話相手はけらりと笑って流した。それどころかこっちが恥ずかしくなるような言葉を平気で吐いてくる。私は動揺していることをバレないように小さくふうん、とだけ返した。
『あのさ。ライブ、どうだった?』
「最高だったよ。たぶん、今までで一番」
『やっぱ? 俺もそう思うわ』
「みんなすごい歌うまくなっててびっくりした。圧巻されちゃったよ」
『ま、俺たちも日々レッスンしてるしね~』
「それもそっか」
他愛もない話を繰り広げる。実際に会えないのはちょっと寂しい気もするけど、こうした何気ない会話をするのもそれはそれでしあわせだなあ。なんて考えていたら、急に翼から返事がなくなった。本当に急だったため、何かあったのだろうかと不安になって名前を呼びかけると「……あ~~~っ、だめだ!」と叫びが聞こえた。
「え、え、なに。どうしたの?」
『会いたい気持ちを抑えて声だけ聴いて我慢しようと思ったんだけど、だめだったわ。声聴いたら余計会いたくなってきた』
「は」
『ねえ、今どこにいんの? 会いに行きたい』
「ちょ、ちょっと待ってよ。そっちだって打ち上げとかあるでしょ。だから会うのはせめて明日とか、」
『ヤダ。今すぐ会わなきゃ気が済まない。まだ会場の近くにいる? 今行くから待ってて』
「ば、ばか! 翼が出てきたら大騒ぎになるでしょ! そうなるくらいなら私からそっちに行くから」
がさごそと何か準備するような物音が聞こえ本当にやりかねないと慌てて引き止めると「言ったな?』と言われ、ハッと気づいた。ハメられた。きっと翼は今頃意地の悪い笑みを浮かべていることだろう。ぐぬぬ、とうめき声を上げつつも負けを認めて私は関係者口のほうへ向かって歩き出す。
『もうスタッフさんには話通してあるからさ、早く来て』
「……最初から会う気満々だったじゃん」
『声で我慢しようとしたのはほんとだよ? でも耐えられる自信なかったから先に伝えといたの』
「本当、抜かりないよね、まったく……」
『なに、は俺と会いたくない?』
ズルい聞き方をするものだ。会いたくないわけがないでしょ、と小さい声で伝えると満足そうに「だと思った」と翼が笑う。大好きな恋人に会いたくない人間なんて、この世にいるわけないでしょうが。バカ。
関係者口が見えてきたので翼に一言断って電話を切る。切る直前の「待ってるよ、」という一言についてきたリップ音は聞こえなかったフリをした。入口付近には、警備員さんと顔見知りのスタッフさん(顔見知りになったのは、大体翼のせいである)がいて、スタッフさんが私を視界に捉えると「話は聞いてますよ、こちらへどうぞ」と扉を開けてエスコートしてくれる。私たちの事情を知っているスタッフさんの表情は何かほほえましいものを見るような柔らかいものであり、恥ずかしくて顔を俯かせながら後ろをついて歩いた。
楽屋の扉を開けた瞬間、待ってましたと言わんばかりの満面の笑みの翼に苦しいくらいに抱きつぶされるまで後30秒。
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