きみはぼくのシリウス

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 迎えに来て。

 そうたった一言だけのメッセージを送信した直後、アルコールで浮かれていたはずの脳みそが急に冷水を浴びせられたかと思うほどに冷静になった。すぐに吹き出しを長押しして送信取り消しをする。動作を終えればすぐにそのメッセージは虚空へと消えた。無事証拠隠滅完了し、あとは通知を彼が見ていないことを祈るだけ、だというのに。

『なんで消しちゃったんすか』

 すぐにそんな返事が来て、先ほどの行動がすべて手遅れであったことを知る。テーブルの下で、みんなにトーク画面を見られないように気を付けながら返信を打ち込む。酔っているせいなのか思い通りに指先が動いてくれなくて、いつもなら三秒もあれば送信できる文章に十秒もかけてしまった。

『ごめん。忘れて』
『忘れないすよ、名前さんが甘えてくることなんてそうないでしょ』

 立て続けに『今どこすか』と送られてくる。きっと今の場所を白状すれば、一差はすぐにでも家を飛び出して本当に私を迎えに来てくれるんだろう。それがわかっているからこそ、私は躊躇した。

 そもそもなんでこんなことになったのか。話は二時間ほど前まで遡る。

 今日は中学時代の友人たちと飲もうと約束していた日だった。飲酒も合法になったんだから、昔の面子で集まろうよ、と誰かが言い出したのがきっかけだった。
 最初はみんなで甘ったるいジュースみたいなカクテルを口にしながら、楽しく昔話に花を咲かせていた。やれあの先生は厳しかったとか、あの授業意味わからなかっただとか、課外学習であそこに行けたのは面白かっただとか。そんな他愛もない話ばかりだったけど、それが楽しかった。
 グラスの二杯目が空になるころ、すっかり顔を真っ赤にしていた一人が「ていうかみんな彼氏とかいないの」と話題を振った。女子の大半は恋バナに目がない。ましてやアルコールで正常な判断が下せない状態だ。話が盛り上がるのは必然と言えた。

「名前は? 彼氏とか、好きな人とかいないの?」

 聞き役に徹していた私だったけれど、もちろん見逃されるはずもない。えー、と言葉を濁してみるけれど、すっかり酔いが回っていた私は、言っちゃってもいいかなーなんて思って。

「いちおー、いるよ。…………彼氏」

 暴露してしまった。キャー! と悲鳴のような声が上がる。
 そこからはもう、怒涛の質問責めだった。
 どこで出会った人? 大学とか? 歳は? かっこいい? 写真ないの? どーいうとこが好きなの? 今から彼氏呼んじゃおうよ。
 ぽやぽやした回らない思考回路のまま、それらにひとつずつ答えていく。

「高校時代の部活の後輩なの。二つ下で、すごくかっこよくて、私には勿体無いくらい。写真はごめん、まともなのないかも。好きなとこはー……いっぱいあるからなあ。今から呼ぶのは、ちょっと。もう遅いし、そもそも彼、女の子苦手みたいだから」

 今まで周りに彼氏の話なんてしたことなかったから、惚気るのがこんなに楽しいとは知らなかった。たぶん、アルコールでブーストもかかってたんだと思う。
 さっきとは比べ物にならないくらい饒舌になった私の話を周りはニヤニヤとしながら聞いてくれていた。けれど。

「え! まって、二つ下ってことは、そしたらまだ高校生?」

 一人が声を上げた。私はぱちぱちと瞬きを繰り返したあと、そうだよ、と頷く。
 一差は出会ったときより、体格的にも内面的にもすっかり成長していて大人っぽく感じているが、まだまだ高校生だった。早くオレも高校出て名前さんに並びたいす、というのがここ最近の一差の口癖だ。
 その返事を聞いた誰かが「え~っ」とさらに声を上げる。そのイントネーションが少しネガティブな声色だった気がして、意図がわからずきょとんとした。

「あたし高校生はないなー。子どもっぽいじゃん」
「あーわかる。てか冷静になると犯罪にならん?」

 は、と冷え切った声が漏れそうになった。なんとか寸前で飲み込む。
 そんな私のことも知らずに彼女たちは楽しそうに年下がナイ理由を話している。
 なにそれ。たしかに一差は年下かもしれないけど、まだ高校生かもしれないけど。世界一かっこよくて、最高の彼氏なのに。いわゆる「そういうこと」だって、一差が高校卒業するまではやめよう、って二人で約束して。一差はそれを律義に守ってくれているというのに。そもそも彼女たちは私たちの何を知ってこうも笑っているんだろう。
 負の感情でいっぱいになる気持ちに蓋をするように、グラスの中身を飲み干す。そして「そうかなあ」と誤魔化すように笑った。
 ここで怒っても仕方ない、空気が悪くなるだけ。時には笑って流すことも大事なのだと、生まれて二十年と少しで知った処世術だった。
 話題はすぐに切り替わったけれど、さきほどの彼女たちの発言がどうしても脳裏にこびりついていた。それらを思い出してもやもやとした感情が湧き出るたびに、上書きするようにアルコールを煽る。それを短時間の間に何度も繰り返していた。その結果。

「おーい、名前大丈夫~?」
「んーー……だいじょぶ~~」
「いやどう見ても大丈夫じゃないでしょ」

 当然といえば当然なのだが、自分で気付く頃にはへにょへにょのぽやぽやになっていた。頭はふわふわだし身体はあつい。典型的な酔いどれ状態だった。
 友人たちからの声掛けに大丈夫であると返事をしているが全く信じてもらえない。本当に大丈夫なのにな。たぶん。家も近いから歩いて帰れるし。たぶん。

「例の彼氏に迎えに来てもらったらー?」

 不意に、友人の一人がそんなことを言い出した。ふわふわの脳みそはその言葉を理解するのに少しだけ時間がかかる。
 彼氏に、迎えに来てもらう。この店まで。つまり、この場に来てくれることを指していて。はたと、それはいいかもしれないと思った。
 一差がこの場に来てくれれば、みんなに見てもらえる。かっこいいことを知ってもらえる。自慢の彼氏だって、見せつけられる。
 この時の私はそれを名案だと信じて疑ってなかった。勢いのままスマホを取り出してメッセージアプリを開く。一番上に固定された一差とのトークを開いて、文字を打ち込み、送信した。

 …………そして、冒頭に戻る。

 一差とのトーク画面を見つめながら、私は自己嫌悪でいっぱいになっていた。本当に、なんであんなメッセージ送っちゃったんだろう。
 そもそもみんなに一差を見せつけてかっこいいことを知ってもらおうなんて、私のエゴでしかなく、ちっぽけな見栄でしかない。お酒の勢いもあったとはいえ、自分の行動が恥ずかしくて消えてしまいたかった。次があるならば絶対に飲む量はセーブしようと決心する。
 一差からのメッセージには、まだ返事をできていない。どう誤魔化そうか文章を考えるのに精一杯無い頭を働かせていた。一差はちょっとおバカだけど、察しがいい。適当な理由では納得してくれないのは明白だった。
 そんな中不意に着信が入る。返事がなかなか来ないことにしびれを切らしたのかもしれない。相手は一差だった。
 「ごめん、ちょっと電話でてくる」とみんなに一言告げて、返事を待たずに席を抜けた。一回店の外にまで出るとぴゅうと冷たい風を浴びせられて、温度差に少しだけ身体を震わせた。

「も、しもし」
『今どこすか』
「えーー………、ないしょ?」
『そーゆーのはいいんで』

 電話に出ると一差はメッセージと同じ言葉を一言一句違わず告げた。少しかわい子ぶってみたけれど、一差はやはり誤魔化されてくれない。声のトーンから、電話の向こう側で口をへの字にしてむすっとしている姿が想像できた。暗闇に染まった空を眺めながら、なんて返そうかと思考を巡らせる。

「あの、ごめん。でも本当に迎えは大丈夫だから……変なことラインしてごめんね」
『なんも変じゃないし、てかオレが迎えに行きたいんで! 今日友達と飲むって言ってましたよね。どのへんすか?』
「いやでももう遅いし、申し訳ないし危ないから」
『それを言ったら名前さんのほうが危ないでしょ』

 どちらも引かない押し問答。正直私のほうが先に折れてしまいそうだったけれど、年上として譲るわけにはいかなかった。どうにかして言い包めてこの場を収めようと言葉を探していると。

「名前ーー? 大丈夫ーーーー? 誰だった?」

 唐突に後ろから、私を呼ぶ声が聞こえた。驚いてうしろを振り向くとこちらを覗き込むようにしている友人の姿。中々戻らないので様子を見に来たのかもしれない。
 口パクでかれし、と伝えると途端にきらんと目を輝かせた。その反応に嫌な予感を感じ取る。まずい、選択を間違えたかもしれない。
 そう思った時には既に遅かった。彼女はにっこりと口角を上げた後、すうっと大きく息を吸い。

「名前の彼氏くんですかー!? あたし名前の友達でーす! 名前、メッチャ飲んでてそーとー酔ってるんで、迎えにきてやってくださーい! 駅前のトリキなんでー!」

 と。大きく叫んだ。おそらく電話の向こう側にいる一差にも聞こえるように。あんまり大きな声だから、通りすがりの人からの視線が痛い。

『あざーす!! すぐ向かいます!!!』

 一差も、友人の耳にまで届くように声を張り上げて返事をした。耳元に当てていたスマートフォンを反射で離したけど、それでもその大音量に耳が痛くなって、ぐわんぐわんとする。
 いつの間にか電話は切れていた。友人はケタケタと笑いながらよかったじゃん~と茶化してくる。恥ずかしさや怒りなどの感情がごちゃまぜになった私は、一旦その肩をグーで殴った。

 

 

「じゃあごめんみんな、先に帰るね」
「すんません! 失礼しゃす!」

 隣で一差が勢いよく頭を下げる。こういうところは運動部らしいと言うべきか。
 一差は本当にすぐ来てくれた。時間にして十五分ほど。猛ダッシュで来てくれたということが、額に滲む汗で伝わる。
 さきほどの友人から話を聞いたみんなはニコニコニヤニヤしながら「またね~」「また飲も~」と手を振っていた。今度会った時改めてグーパンしようと心に決めながら手を振りかえして退店する。

 酔いは覚めたつもりだったけど、まだまだ足取りがおぼつかなかった。一差が手を引いてくれているおかげで転ぶ心配はなさそうなのが幸いだった。のろのろと一差のうしろをついて歩く。

「名前さん、大丈夫すか?」

 いつもより足が遅いことに気付いたのか、一差が一度立ち止まって振り返ってくれる。大丈夫だよ、と言うと一差はまた歩き始めたけど、そのスピードは明らかにさっきよりも落ちていた。さりげない優しさを感じて胸の奥がきゅんとする。

「あの、一差」
「なんすか?」
「ごめんね。お迎え、結局来てもらっちゃった」
「なに言ってんすか。さっきも言いましたけど、オレ、名前さんに甘えられるのが嬉しいんですって!」

 わざわざきてもらったことに対して謝るとニッと笑いながらそう言ってくれた。さっきも言ったと言うが全然初耳だったのだけれど、その言葉がうれしい事実は紛れもなくて、ついにやけてしまいそうになる。照れを誤魔化すように俯きながらそっかとこぼした。
 ぎゅう、と引かれていた手を強く握られる。一差の手は大きくて、ごつごつとしてて、男の子の手だった。そのうえ暖かいから、じんわりと熱が移って心臓と頬にまで広がっていく。好きだな、と思った。

「一差」
「んー?」
「明日お休みだよね? なんか予定あるの?」
「別に予定はないっすねー。適当にその辺走りにいこっかなーくらいでしたけど。なんかありました?」
「いや……。その、きょうもう遅いし、泊まってくかなって」
「え! いんすか」
「うん。いつもみたいなもてなしはできないけど」
「名前さんちに泊まれる事実がもうもてなしみたいなもんすよ!」

 ちょっと意味がわからなかったけど、言いたいことはなんとなく伝わる。
 一差の感情はいつもまっすぐでわかりやすくて、そこが好きだ。「迎えにきてくれたお礼に朝はホットケーキにしよっか」と提案すると「うわっ超ゴーセーじゃないすか!」ときらきらとこどもみたいに目を輝かせて喜んでくれる。その反応がまた嬉しくて、一差の分にはフルーツとホイップクリームまでつけてあげようとひっそり決めた。

 飲みの席にいたときのもやもやはすっかり晴れていた。
 いまは一刻も早くおうちに帰って、いっしょに眠って、いっしょに朝を迎えて。起きて一番に「おはよう」と言い合うのが楽しみで仕方がなかった。自然と軽くなった足取りで、今度は私が一差の手を引いた。